頼政

-よりまさ-

 

舞歌「ほとゝぎす 名をも雲井に 上ぐるかな 弓張り月の いるにまかせて」

 

 平安時代末期、帝の住む御所に、毎晩のように鵺(ぬえ)の薄気味悪い鳴き声が響き渡り、帝を悩ませていました。

 弓の名手であった源頼政は、鵺を退治せよとの詔(みことのり)を受け、猪早太と共に東三条ヶ森に向かいます。

 鵺は、猿のような頭と、牛のような体、虎のような手足に蛇のような尻尾を持った化物でした。

 頼政たちは、弓矢と太刀で果敢に戦い、遂には鵺を退治します。

 退治された鵺については、「京都の清水寺に埋められた」とか「鴨川に流された後、兵庫県の浜に打ち上げられ、そこで鵺塚を建てて弔われた」など、各地に鵺の亡骸に関する伝承が残っています。